忘却
2011年3月11日――圧倒的な地震と津波が日本を襲い、大きな破壊と悲しみを日本にもたらした。
そして、続く原発での爆発と放射能による汚染の事実に誰もが言葉を失ったに違いない。
初めて福島に足を踏み入れたのは、およそ一ヶ月が経過しようとしていた頃だった。
地震発生直後から震災に関連した多くのニュースが様々な形で溢れていった。
それらはスピーディに状況と深刻さを伝えていった。しかし、ニュースが見せる現実は、
余りにも僕の知る日常とかけ離れていたし、だからこそ、
実感の伴った現実として
想像することができなかった。
テレビの中で起こっている事実を想像するには、
余りにもそれらの場所に関するディテイルが足りなかった。そこには、無数の日常があったに違いなく、
その日常を形作るディテイルがあったに違いない。
全てが福島で起きたという事実、その意味。僕は想像する術を持たなかった。
だから一人の日本人として、この現実を経験することの必要性を感じていた。
福島で人々が見せてくれたものは、生きるということその物だった。
確実に変わってしまった日常を生きているということ。ただそれだけだ。
怒りも悲しみも、そして、笑顔も喜びもそこに在った。
今も福島は、人々が生きるための場所としてそこに在った。
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